どうしてカウンセラーになったか




 はじめに:

自分のことについてもう一度考えてみたくなったし、自分についてあるがままに書くとを避けたらこのサイトが中途半端になってしまうとも考えた。少なくとも、自分の天職と働くスタイルを見つけ出して良かったということは書けるとよいのだが。

この文章を公開しようかどうか迷う。自分のことを飾り立てたくて迷っているのではない。断片的に書く形式で「カウンセラーのたまご」を作成すると読者にとって理解しにくく、僕の自己満足に終わると思うから。しかし筋の通った読みやすい文章は僕の思考回路を映せず書いていてしっくりこない。

僕は静かな場所で話しを聞くのが好きだ。相手が言い尽くすまで深く聞くのが本当に好きだ。時々自分を言い尽くすぐらい熱心に話しを聞いてもらうのも好きだ。

深く話す、静かに歩く、本を読む、そしてぼーっする時のヒプノティックな感覚は僕の基本姿勢の一つ。

そして僕は人間や生き物がが好きだ。人間の事を考えたり観察するのに飽きた事は無い。人の発している振動は僕をほほえませ、しかめ面をつくらせ、僕の目を奪う。

人を楽しむことは受容であり、これが無条件に出来るとカウンセラーとして一人前になる。ウソだと思うかもしれないが、そういった人は本当に居る。今の僕はとてもその領域からは程遠いが、自分の弱さを超えて行く人になりたい。

個人でこつこつと受注生産する靴屋のように、本当にすきな方法で仕事をやっていくの にはセラピストが向いている。特に開業した後では(スーパーバイザーを持つにせよ)自分の勘、経験、知識に頼り予約を取ってこなしていくスタイルを保てる。

このようなサービス業ではクライエントがある意味で正直。自分で納得のいったセッションをすると、後で必ず良いリアクションが来る。こういったセッションをしている間は不思議な位クライエントはアポイントを守ってくれる。成果が見られ治療の終了をについて話し合う時、書類に「治療完了」と書くとき、本当にこの仕事をしていて良かったと思う。

何かを特に目的も無く見つめている時間は結構長い方だと思う。人々はとてもきらきらしているし、懐かしい。(道で会ったら温かく見過ごしてやって下さい(笑))ぼおっとしている様に見えるけど、ただリラックスして自分の時間を過ごしているだけなのだから。

僕の弱さについて書こう。個人的な話だからこのページの趣旨に合わないかもしれない。

物心ついて以来、沢山の人に拒絶されてきたと感じることと、人と話していると不愉快になることが僕を困らせている。寂しいのだが、人と会うと直ぐに別れて家に帰りたくなる。

集団で話しをするのがとても嫌いだ。特に本音を云わず親切を装った人達とは出来るだけ仕事以外で会いたく無い。(仕事として人に会うのは比較的楽で、大抵の場合楽しい。Boundary Setting が出来ているから。) しかし日常生活の中で友達を作るのは難しい。多かれ少なかれ誰でも友人関係には苦労が付き物だが、僕はつい最近まで本当に孤独であった。

少しずつ友達と理解者が増えている。温かい会話を一杯のお茶と共に交すことが増えてきた。そして消えることの無い深い孤独にすら、意味を感じる。

経験を積むにつれてお互いに尊敬できるようになったのが嬉しい。真摯な交流は明日の活力になるから。

話をカウンセリングに戻す。クライエントと時間を共にすると、時々僕の振動が伝わっているのが分かる。その場を共有しているのだと思う。そのような時は、治療が行われていると僕の勘が教えてくれる。こういったことを一生の職業としてやっていきたいのだ。

今書けるのは断片的なメモの塊だけだ。これ以上系統立てて書くと無味乾燥のレポートになる。





2/2/01 更新


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