文化・言語の相違について



日米の文化や言葉の違いを強調するともっと基本的なことを見落としてしまう。クライエントと僕が理屈抜きに共振することを見過ごすことは本当に哀しいし、彼等ときちんとチャンネルが合ったときはああ、セラピストやっていて 良かったと思う。こういったことに向かって、今でも英語をぼちぼちと訓練したり違った文化に対する尊敬と好奇心を失わないようにしている。

アメリカ文化/社会について、例えば公私をハッキリつけるアメリカのやり方には、職場では人間関係が楽だけど人を切り捨てたり切り捨てられたりするのはつらいし、バッサリと切り捨てて平然としているアメリカ人とは本当の友達・良き同僚にはなれない。しかし人を見捨てないアメリカ人は思ったより多い。目標に向かってドリョクしていない人、自分の考えを追求しない人には肩身の狭い所。僕は考えて考えを発信する人なので、これはアメリカに来てよかったと思う理由のひとつ。そんな僕をはっとさせたI さんの言葉:「アメリカは努力しない/出来ない人達を見捨てている。」と、いうことは、病んでいる人というのは努力の出来ない、またはそれをしたくない人なのか。

家族が病んでいて、それを何とかしようとしているのもこの国。日本もかなり凄いけど、コカインやって自分の子供を放り出しておいて、刑務所行きになり児童保護局に子供を取られると大騒ぎする「親」達や、家族ぐるみで1分間に3回嘘をつく人達をみていると、この国はなんでもスケールが大きいなと感心する。家族生活や人間関係をこんなに求めながら、個人に分断されている姿は漠々としている。でもすがすがしい家庭もたくさんあります。そういった(友達の)所に遊びにいってドラムを叩いたりお茶をのんだりするのは嬉しいことです。こういう風にあそびまくっているとセッションに良い影響がでます。逆にいえば楽しく遊べない家族は病気です。

外国人である限り差別や英語のハンデはつきもの。 例えば僕の今いるマセチューセッツ南東部はアジア人が少ないので人々が日本について無知だし、道であからさまに声をかけられることが日常的に起こる。僕達がヒスパニックやプエルトリカンについて殆ど知らないのと一緒だが、頼むから放っておいて欲しい。僕は香港から来たのでも、ジャッキーチェン(好きだけど)の知り合いでも、拳法の達人でも、チャイナタウンの住人でも無いし、北京語を話す訳でも無い。そんなことは彼等の知ったことじゃあない。

この、"Are you Chinese?" アタックは脱力するぐらい多い。一年中これをやられると困る。大人でもこれをやるのだから。(都市でこれをやると常識を疑われるでしょうに)仕事中はおーらが出ているのであまり気にならないけど、オフのときが一番困る。これがボストンに1時間掛けて遊びに行く理由のひとつ。職場の同僚や学校の同級生はもちろんある程度(日本人である僕を)受け入れてくれるのだけと、やはり違和感は大きい。遊ぶのにはお互い受容できないと。友達ってどうしてか他学部/他分野/遊び人が多い。

米語の発音、文法、言い回しについてはちょくちょくクレームが付く。その度に発音練習やリーディングを家や車の中でやる。あんまり気にするときりがないし、意味もないのでほどほどにしているけど。例えば僕は文法はあまり気にしない(だから英文の間違え多し)のだけれど、喋りと聞き取りにはこだわっていて定期・日常的に練習する。これは純粋に僕の趣味で あって、本当なら歌手や俳優でもない限り発音、文法、読みなどをまんべんなく必要に応じてそこそこにやっておけばよい。特にセラピーは非言語なところが非常に重視されることが多いので、あたりまえのことをやっていれば英語が仕事の決定的なマイナス要因になることは無い。客観的にみてきちんとした英語を話して いるのにクレームが付くときは、単に差別されているか誤解されていることが多いのできちんと当事者に説明/主張しないと生き残れません。

傷ついている人、本当に助けが必要な人、ストリート・スマートな人の中には言葉を信用せずこちらの目と気配を全身でさりげなく視ている時がある。このような人は家族、知人、他のカウンセラーからも裏切られたと感じていることが多いので、僕が信用できるかどうかを直感で判断することがある。こういったときは文化もへったくれも考えずに、自分でいれば向こうはそのうち分かってくれる。本当に、コーヒーをすすり、子供達とボードゲームをしながら笑っている変な奴(僕のこと)でも大丈夫ですよ。

一言でいうと自分と向かいあうのはどこでも一緒だし、文化の違いよりも個人差のほうが大きいと思う。これを読んでいる方が、どこであれ楽しい生活/仕事の時間を健やかに過ごされますように。

2/3/01加筆





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