僕の心理学入門2 臨床心理・カウンセリング・オンライン入門書 

「透明感・しずかな歓喜、英語学習法」introPsy2.html

 

 

 

 

** 透明感・しずかな歓喜

 

透明感、と僕が読んでいるものがある。(別の言葉で

表現すると微妙に意味が変わってしまう。)

 

友人達と話す時、夜読書する時、音楽を聴くとき等に時々訪れる。

 

時間の濃淡が変わり、意識がクリアーになる。不安が消えないにしても、

イメージが見える時でもある。

 

又、しずかに感動する時もある。脳が軽くなり全ての重さが吹き飛ぶ時。

鳥肌が立つ。(とてもポジティブな状態だが、体力を消耗するので

ジャケットを羽織るなどして体温を保持する必要がある、、、)この状態を

なんと言ってよいのか分からない、、、とても嬉しい時を過ごすことになる。

とても懐かしい気がする時でもある、、、

 

 

 

 

** 紡ぎ出すもの

 

既製品に満足できない事があるように、何かを作りたくなる時がある。

パンを焼くこともそうだし、このサイトを作ることもそうだ、、、

何かを捜し求めて彷徨う時のすばらしい副産物として、そしてたまには

ゴールとして何かを作り続ける、、、

 

トップ絵(jayotsuka.com/index.htmlの2006年6月現在の絵)の端を

ペイントソフトで削って柔らかくしている時、パンだねを捏ねている時、

セラピーの準備をしている時、、、僕は青くて透明な世界に居る、、、

 

まるで世界の何処かの僕の片割れを探しているかのように。

 

 

 

 

** 神様ということ、ぼんやりすること

 

神様ということ

 

全てを見ている存在。上からも下からも、信じられない角度と視点で

全てを切り裂きつつ、何もダメージすら与えないもの、、、CTスキャンが

進化したようなイメージ。

 

別に名前は何でも良い。信じる必要すらない。

物事が、水銀が流れるように、あるべき姿になるための、

 羅針盤となる?

 

僕は神様を信じているかどうかは、正直言ってよく分からない。

神についてイメージ的にしか理解していないのかもしれない、、、

 

「カラマーゾフの兄弟」の一節にぼんやりとした農夫(スメルジャコフを紹介した時)

が出てくるが、彼のようにぼんやりとイメージを溜め込んでいるのが僕という存在なのかもしれない、、、

 

 

 

 

** アメリカ人と言葉(英語)

 

アメリカ人にとっての言葉

 

初めに言葉ありきというのは本当だ。日本人の感覚からいうと、アメリカ人の多くは

(普段ならやらないが、このトピックに限り一まとめにしても差し支えないぐらい)

言葉をずっとずっと大事にする。

 

日本人だって大事にするが、それは言葉が体や、環境の一部に溶け込んでいるから。

いわば、身から出るように有機的に言葉を選ぶのが日本人。

 

アメリカ人は言葉そのものに命を掛ける。本当に本気である。だから日本人等の外国人が

ある程度の英語を話し、思想やセオリーの話になるとめらめらと対抗意識を燃やしてくるか、

「あなたの英語は話にもならない」とばかりにネイティブ同士で微妙な表現を使いまくる、、、

 

ちょっとの文法間違い(会話なのに)も指摘してくる。ちょっとあんた英語専攻だろ

この現地人、ちょっとは手加減しろ!と言いたくなるが、文法を繊細に使いこなし、

マシンガンのように速射で話し、また微妙な表現や15年前のテレビドラマ

(知ったことか!)、歌の歌詞の断片を織り交ぜながら議論を深める彼らに

対抗するのは無駄な気がしてくる、、、

 

アメリカ人、特に教育を受けたり言葉に敏感な知人友人を持つと大変である、、、

アメリカ人は言葉(と筋肉)によって出来ているといっても過言ではない、、、

 

(ここでいつもどおり矛盾したことを言っておくが、以上のことを踏まえた上で、

自分自身で納得のいく中身のある会話をするのが、一番のアメリカ語上達法だと考えます。

ことばに敏感な人はこちらがどれくらい言葉に気を使っているかが分かるから、、、)

 

 

 

 

** アメリカ人と言葉(英語)

 

アメリカ人と英語について詳しく書こう、、、

 

言葉によって、無の塊の宇宙に無理やり存在をつくりだそうともがいているように見える、、、

 

言葉がなくなったら、言葉に少しでも弱さがあったら全てが消し飛んでしまいそうな、、、

だから、間違ってもアメリカ人(特に言語能力に自信がある)を言い負かそうとしてはいけない。

 

たとえ僕の意見が正しくとも喧嘩になるのがせいぜい。むしろ聞き手に回り

(安易に賛同出来ない時も有るが、聞くだけでOKな時は結構多い。)相手に喋らせながら、

相槌を打つ等誠意を見せていると、なぜか向こうもこちらの意見を(言ってもいないのに)

取り入れてくる、、、イエスマンになる必要は無い、ただ誠実に聞いているだけ。

 

そして話し手とある種の繋がりが出来たら、僕の言葉は必要な時に自然に流れ出す、、、

ちょっとした以心伝心のようなものが、アメリカでも起こる、、、

 

これは所謂話し上手聞き上手といわれる人々や、親しい友人家族の間で起こることが多い、、、

そしてこれは、専門用語と込み入った文法で人を煙に巻きがちな僕への自戒の文でもある、、、

 

 

 

** Spill your heart in English

 

Spill your heart in English.

 

When you learn American-English, I would suggest you that you should spill your heart, sometimes, using the language. When you talk to somebody important, and you have something to say…but you simply can’t articulate you thoughts. Frustration accumulates at your core. Then, the metaphorical liquid in your heart-shaped box overflows. In other words, you pour your heart out of the sealed box in front of her/him. Your English, which is usually like an annoying shell or a pair of misfit and dump T-shirts covers you, would stretch like a sheet of the beautiful polymer…and connect to your flesh…and others. Such a connection forms the backbone of your English…which is the physical/chemical change in your brain…maybe heart…Good luck for your soul...

 

 

 

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2005年6月更新

2006年7月加筆編集