僕の心理学入門1 心理学とは何か--臨床心理・カウンセリング・オンライン入門書 

 

 

** 心理学とは何か--臨床心理・カウンセリング・オンライン入門書

 

測定可能な行動のみを扱う行動科学が心理学だと僕達は大学で習った。しかし僕が心理学についてたどたどし く話す時、説明しようとする時こころについて考えずにはいられない。僕にとって多分多くの人にとってこころを理解することに意味があり、その為に心理学を 学んでいるのだろうから。

 

僕 はこのちょっとした入門書を書くにあたりもっとも僕らしい文で書くことにする。思うままに、構成や学術論文の書式をはなから無視したぱらぱら文(造語)で 文をつづろうと思う。これを学校に提出したら落第間違い成しだ。でもこれから心理学なりなんなり、好きな学問を心行くまで(学問はマラソンでもあるので、 つらいことも多いが)多分生涯をかけて追求したいあなたの滋養になるような文章を読んでおくのは、けっして無駄なことではないと確信する。

 

文章がぶつ切れなのは日記に数行づつ連載しているため。また2005年現在アメリカに10年以上滞在しているため欧米の話題が

多くなる。留学体験記だのなんだのも入ってくると思う。(書いてみるまでは分からない、、、これも学術論文のルールを破っている。なんてことだ。僕はこれが学術論文だと言いたいらしい!)

 

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たぶん人というのは自分でしみじみとした実感:「僕の求めているものだ」という感覚に包まれていないと

存在の端っこが欠けてしまうものなのかもしれない、まるで瀬戸物が不甲斐なく折れてしまうように。

 

 

だから僕はこのしみじみとした実感を伴う学術全般のことを僕の心理学の基盤にすることに決めた、、、

 

それって**心理学じゃないか、とか現代思想に似たものがあるとか、、、

そういうことを言っているのではない、、、

 

自分という枯れ木のような存在が地下水に根を伸ばした時、、、

私は、あなたに出会う。そのことを自分で確認しそれを誰かに伝えたいから、、、

 

僕が束の間ここに存在したことのメモリーア、、、

それだけ。

 

 

 

 

** 僕の原点のひとつ: セシュエーの「分裂病の少女の手記」

 

心理学と出会ったのは高校生の時。土井健夫氏の「精神分析」、「甘えの構造」

セシュエーの「分裂病の少女の手記」を読んだ。セシュエーの本には特に衝撃を受け、

「象徴的に患者さんを受け入れていくこと」を元に治療したいと願うようになった。

(ここで、例えばセシュエーは何をしたのかは書かない、、、気が向いた時に

つらつら書くのが長続きのコツだし、オンラインなのだから検索すれば済むこと。)

さまざまなサイコセラビーの方法を学んだ今でも象徴的実現法は僕のセラビーに影響を与え続けている。

 

 

 

** しっくりとくる心理学を求めて

 

物語の山場のように、心理学のツボになるものを探し続けている。

全ての現象を説明尽くすものはグランドセオリーというが、

僕はグランドセオリーというよりは、全ての核心にあるもの、、、

なんと言えばよいのかな、、、

 

心理学のクラスをはじめて取った時から、精神分析、行動、認知など

のセオリーに違和感を感じ続けている。精神分析も、行動も脳と体の

化学反応、たとえば条件反射の集積・相互作用で説明がつくのではないか?

フロイドやスキナーは生理学を放棄したのではなくて、当時の科学では

心はブラックボックスとした方がよいと判断しただけで、彼らが同時生きていたら

人工知能やら脳をコンピューターでエミュレートすることにはまるのではないか?

特にフロイドは神経学の権威でもあったので今日ではニューロンの重要性否することは

無いだろう。ひとつひとつのセオリーは不完全なのだから、

セオリー同士組み合わせたらどうかというと、

(臨床では折衷派を除けは)各理論家は大変立腹する、、、まるで全人格が

否定されたかのように、、、

 

 

 

** 人との違和感

 

人と話すとき、会うときに僕が感じる主観的な違和感を

どう表現し説明したらよいか、ということが僕の学問の始まりのひとつになっている。

 

古今東西の理論を自分に当てはめてみた。例えば僕のアプローチは人間性心理学だとか、

ナラティブだという人もいるかもしれない、、、しかし自分で言葉をつむぎだしている身としては

カテゴリーに分類されるのはしっくりこない。しっくりこなければ自分の学問ではない:

どこかのお偉いさんが喜んでも仕方がない。

 

何かを言ったとき、特に自分の核心に触れたとき、「それは、なになに主義だよ」と

カテゴライズ、思考停止して立ち去っていく同僚たちに少し辟易している、、、

自分の世界からつまさき半分でも出ようと考えることすらタブー。

何の為にあんたは生きているんだ?存在しているのか?多少なりとも

創造性が必要な学問をしておきながら、ボスを喜ばすつまらないこと、

自分ですら信じていないブルシットを鸚鵡返しするのだ?

 

思考の停止したロボット。死んでいるシリコン・チップ、、、

 

 

 

** 漠々とした感じ

 

生きながら死んでしまった群衆は、異様な目をしている。

死んだ目をした集団は、自分が死んでいることに気づかない、、、

気づかせようとすると、あの独特の目でこちらを凝視する。

 

彼らが僕を見る目は、まるで原始風景で見たような、

純粋な戦慄である、、、不思議なことに僕がとても恐れる人たちは

僕を恐れてもいるらしい、、、

 

死人の群れに生きびとが一人もぐりこんだら、何が起こるかはだいたい決まっている、、、

 

 

 

** 空虚さ

 

夜中床に就く時、一日を振り返り満足していたい。やりかけの事、放り出した

プロジェクト、失われたコネクション、、、

 

漠々としたアメリカの一都市で、茫漠とした頭と空っぽのスピリットで

PCの前に座っている、、、

 

昨日と今日の一番の収穫は、僕が真剣に書き物を再開したこと、、、

 

 

 

**「二度生まれ」

 

どうして心理学を学ぶのか

 

「二度生まれ」ということばがある。ウィリアム・ジェイムスという

心理学者が考案した。

 

どうやら僕は、いつからか2度生まれになっているようだ、、、

二度生まれの(と仮定すると)僕は、一度目と二度目の世界の

境目をふらふらと彷徨っている、、、どちらにも所属しない代わりに

どちらの世界の言葉を理解するらしい、、、なんの言葉かは分からないけど、、、

 

心理学は僕にとって、羅針盤であり傍らにいる妖精のようなものだ、、、

(よく今までアカデミックな心理学に留まれていたのか不思議に思う、、、)

 

 

 

** 高校時代

 

心理学関係の仕事をしようと決めたのは高校生の時。

高校時代をどう表現してよいのか、まだよく分からない、、、

 

空白の高校時代とでもいうかな?

 

 

 

** アメリカとほろ苦い英語

 

アメリカに住んだことのある日本人なら、英語を使うほろ苦さを味わうことも

あるだろう。多分ほぼ毎日かもしれない。10何年か英語(米語)で生活し、

セラピストとして英語でセッションをし、同僚達と英語でセオリーについて

語ってきた、、、

 

はらわたを搾り出すようにして発する言語に対する違和感、、、

利き腕が義手になったような、、、自分が自分でなくなったような、、、

 

American people and their guttural sounds...beautiful girls with

guttural sounds...

 

 

 

 

** 学問とフラストレーション

 

某所で書いたことなのだが、、、

 

学問をするにあたってぜひ覚えていてもらいたいことがある。

あなたは心理について学びたくて心理学をするわけだ。

でも、学問をする限りとてもフラストレーションが溜まると思う、、、

勿論収穫もある。でも、こころについての疑問を解こうとすると

ひとつのちいさな問題に莫大な時間を費やすことになる。そして

大抵の場合は疑問がさらに疑問の数を増やすことになる、、、

 

僕は子供の躁うつ病について、ほんの少し核心に迫りたいがために

どれだけの資料を読み、他の専門家と議論したことか。

 

それでもあなたは、心理学を一生の学問にしますか?

 

 

 

 

** こころの闇

 

なんだかインチキくさいタイトルになったが、避けては通れない話題。

 

ある種の暗闇というか、衝動が僕を突き動かす。グールドを何時間も聞き続ける、

眠ろうとも思わない。(別に不眠症ではありませんが。)

 

闇を避けることは出来る。少なくても一時的は。でも結局は向き合うしかない、、、

 

暗闇から抜けだす公式なんか無い。人間らしくもがいて這い上がるだけ。

 

僕にとっての心理学は、僕の業と向き合う道。(演歌ですか!)韓国映画

「アリラン」で伝統歌唱法パンソリを娘に極めさせるべく、実の娘を毒で

失明されてしまうエピソードがある、、、登場人物の歌は搾り出すようであり、

Janis Joplin (Summertimeがお勧め)に通じるものがある、、、

 

 

 

 

** ロジャースの来談者中心療法

 

カウンセリング(心理カウンセリング)と来談者中心療法の生みの親であるロジャースに

影響を受けていない臨床家はほぼいないといってよいかも。そもそもカウンセリングという

言葉が彼の造語である理由は、1930-40年当時心理臨床は医療行為とみなされ(今の日本みたいだ)

たので、ならばコンサルティングと似たビジネス用語のカウンセリングなら問題ないだろうと

ロジャースは考えた。

 

ロジャースの凄い所はカウンセリング・マインドにある。人を受け入れ、自分や病院の

アジェンダを押し付けないことは、当時かなり硬直化(患者は黙って医者の言うことに

したがうことが多かった)していた精神医学に多大な影響を与えた。

今ではロジャースの考え方は一般常識化している。

 

例えば看護助手のクラスでははロジャースの名前は出てこないが受容的、患者さん主体が

徹底されているしカウンセリング、ソーシャルワーク、臨床心理に携わる人は多かれ少なかれ

ロジャース派のトレーリングと理論も(各々の学問のセオリーと平行して)学ぶ。

お客さん中心、「私の心理学」を先取りしたとも言えるかも知れない。

 

ソフトな(人間的な)イメージがある(それは確かにそうだが)ロジャースだが、

精神科医がロジャース達が医療行為をしていると言いがかりをつけて追い出そうと

したため起こった政治的闘争に生き残った事、心理療法の効果を科学的手法で

検証(実験)したパイオニアである事、学部時代にみっちりと科学を勉強したこと等

は全くと言って良いほど一般には知られていない。

 

 

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2005年8月更新

2006年7月加筆校正。